忘れがちな日々

楽しそうな波には自ら呑まれにいく

さゆみさんのこと

6/10、ストリップの踊り子である石原さゆみさんが引退されます。

今週の渋谷道頓堀劇場は「開館記念&石原さゆみ引退特別大興行」と銘打たれていて、チラシと入り口の看板のさゆみさんのお写真の下には「ファイナルステージ」と書いてあって。

引退、引退なんだよなぁ… ってずっと現実味がないままぼんやり思っていたんですが、ファイナルと書かれてやっと、ぴんときたというか、ツアーファイナルとかファイナル公演とかそういう文言にぶちあたりがちな界隈にいままでいたからか、ほんと今週になって、このチラシの文言見て、ずしーん、ときてしまっていて。

さゆみさんについての文章をどのタイミングで書こうか、書くべきなのかどうなのかってすごく悩んだし、ぼんやりとしか語れないんだけど、ステージの上に「石原さゆみ」が存在しているうちに書いておこうと思います(なんと一度書いてた下書きが消えました…!)

前提として、昨年末からストリップ観はじめた新規なのと、観たことあるさゆみさんの演目を指折り数えてみたら片手とちょいしかなくて、愕然としている状態のぬるいヲタクが書いてること許してください。

さゆみさんのステージの好きなところは、どの演目を拝見しても「石原さゆみ」が存在しているところ。演目によってあらたな一面とか新境地とか、別の誰かの人生が浮かび上がるという感じではなくて、一貫して石原さゆみがステージに居るということ。さゆみさんがヒッチハイクをしてるし、さゆみさんがウェディングドレスを着ている。演目の主人公は絶対的にさゆみさんであって、さゆみさん以外の何者でもなくて。

さゆみさんの中のひとのことはまったく知らないし、たぶんさゆみさんと中のひとは真逆とはいかないまでもかなり違っているんじゃないかな、とか勝手に思ってるんですけど、もしそうだとしたら、キャラ設定というか絶対的石原さゆみ像の作り上げ方はんぱないなって思っています。

その石原さゆみさんが引退するということは、さゆみさんというキャラクターが消えてしまって、ステージの上から劇場から存在が消えてしまう…さびしいというのがいまのぼんやりした思いです。さびしい、それ以外に言葉にできなくて。もったいないとか残念とかじゃなくてさびしい。6/10をすぎたら消えちゃう。さびしい。わたしたちは、共同幻想の中にあったんだ、たぶん。

さゆみさんのまばたき多めな表情、好きでした。チークの入れ方がかわいかったり、髪型とかすごく好きだった。まだいまは終わってないけど、だった、って書いて終わってしまう予行練習をするくらいには怯んでいます。しぐさやダンス、ポーズの切り方、ノスタルジーとエモのかたまりのような選曲、どれもこれもがさゆみさんの一部で、どれが欠けててもさゆみさんではなくて。好きでした。

願わくば、さゆみさんがステージを降りる最後の時まで、さゆみさんであり続けられますように。そして、未来いっぱいのしあわせがありますように。